一番安否が気遣われていた当会の日本人協力者が、
本日ドミニカ共和国までたどり着かれ、
先ほど声を聞くことができました。
首都から震源といわれる方向にあるレオガン近郊におられ、
胸がつぶれるかと思うほど心配していましたが、
車に乗っており無事だったそうです。
野宿をし徒歩やタクシーバイクを乗りついでやっと首都までたどり着き、
大使館の手配でドミニカ共和国まで逃れたそうです。
(プライバシーに配慮し、これ以上詳しい情報はここでの記載を控えます)
携帯電話も復旧しつつあります。
この秋からハイチで暮らしておられた日本人男性とそのご家族の無事。
倒壊したホテルモンタナにつとめる
親しいハイチ人の友人であるダリーンのことは
正直絶望的ではないかと思っていましたが、
その日に限って4時に仕事を終え、帰宅していたとのことで、
彼女一家5人も無事だそうです。
シスターNは腰椎の骨折でかなり重症。
彼女のいた病院は半壊し、
そこで暮らしていた人たちは空港近くのカゾーに移ったそうです。
高齢のカナダ人シスターたちは帰国されることに。
カゾーの看護婦でもあるハイチ人シスターDは連日治療のために町に出かけており、
今も余震をおそれて屋外で眠っているそうです。
雨期は毎晩雨が降りますが、今は乾季であることは不幸中の幸いといえるでしょう。
ドミニカに逃れた友人はほっとした反面、
支援する側にいるにもかかわらず、
自分が食べる食料の確保もままならず、
自分だけドミ共にきたことに違和感を覚えるとおっしゃっていましたが、。
あの状況では仕方がなく、責められないこととはいえ、
そうお感じになる気持ちは分かる気がします。
私も次元が違いますが、
94年にハイチの病院を訪れたことをきっかけに医師を志したものの、
現地で血を流している人がおり、
医者が足りないと報道されている中で、
それをテレビのこちら側で見つめているしかないことに不甲斐なさを感じています。
本当に、胸がつまる思いです。自分にはなにが出来るんだろうと思いつつ時間が経っていきます。2日前に仕事場の人たちにも声をかけ、はいち友の会に募金を致しましたがあせって震災の為というメモを通信欄にかくのを忘れてしまってます、すみません。
返信削除心よりハイチの人々の復興を祈っております。