2011年1月20日木曜日

ハイチ政治の行方


 会員の山田さんが、現地紙の最近の報道から纏めてくださいましたのでご紹介します。

2010年11月28日に行われた大統領選挙は、大規模な選挙違反行為が行われたとして、その日の内に19人の大統領候補者のうち12名が選挙の無効と再選挙実施を求める異常事態で始まった。臨時選挙管理委員会はこれを無視して、12月7日に、決選投票は今回の選挙で1位となったMirlande Manigat氏と2位のJude Celetin氏の間で行われると発表した。
この決定に対し、国内で暴動が起こり数名の死者が出る事態となったことから、Rene Preval 大統領は、アメリカ州機構に選挙結果の精査を要請した。これに応えてアメリカ州機構は1月13日に、調査の結果、決選投票は第1位のMirlande Manigat氏と第3位のMichel Celestin氏で行われるべきと報告した。 この報告の結果、決選投票をどのように行うかについて政治が混乱していた。
1月16日、1971年から86年まで独裁者としてハイチを私物化していたJean Claude Duvalier 元大統領が突如帰国した。同氏の帰国の意向は明らかにされていないが、スイスに隠していあった資産がスイス政府に押収される怖れが強まっていたことと関係があるともされている。 また、同氏に対して国際人権委員会が大統領在任中の数々の殺人事件に関し、逮捕を要請する可能性があるとの情報もあり、ハイチの政情は一層不安定になってきている。
昨年20万人以上の死者をだしたハイチ大地震の復興は期待したようには進んでいないことに加え、国連が持ち込んだと疑われているコレラ騒動も、死者が3000名以上に上ると見込まれており、ハイチ国民にはかなりのイラダチが積もっていると見られている。 
(ニュース出典:Altelpress紙、AHP紙 文責:山田貴彦)

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